突然目がさめる。少し頭がずきずきと痛んでいる。
見慣れない淡いブルーの天井。真ん中でオレンジに輝く太陽ライト。アルコールの飲み過ぎで誰かの家に泊めてもらったのだろうか。その予想はしかし違っている。綺麗に昨日の事がフラッシュバックしてきたのである。たしかに僕はふと思い立って、ここ最近流行っているラクゴを見に行くために昨日の昼過ぎに家を出た。多くを手に入れたがどこか満たされ無い男の話だったのを憶えている。楽しめはしたが、想像したよりも笑えるところは多くはなかった。しかし、見終わってから先の記憶が出てこない。
周りを見渡すと、やはり感動的なほど知らない日用品が目に入る。にもかかわらず腑に落ちないのは、さも自分が使っていたかのように適当な雑然さを持ってそれらが配置されていることだ。僕はこの部屋の住人なのだろうか。もしや、と思い自分の顔に触るとこれも当然であるかのように少しの無精髭が生えている。少し痩せたような気もするし、少し太ったような気もする。かつての自分の体がイメージしにくい。しかし、それらにはあまり気にかけないことにした。今、自分が存在している事は事実なのだから。部屋の角にあるもう使われていない電子棚が薄く光っていて妙に美しい。
「おはようございます。」
いつもと変わらない聞き慣れた落ち着いた声。腕に装着されたスマートバンドが僕の目覚めに気付いたようだ。
「やぁ、おはよう。」 「本日のニュースと添付データを伝送します。可能であれば本日の行動計画を教えてください。」
せっかちなのがこいつの悪いところだ。もう少し喋らないようにもできるようだが、僕は初期設定のまま変えることを怠っていた。
「分かった。少し待ってくれ。それよりもこの前の物騒な事件をユーデクスがどう判断したのか教えてくれ。どうもあいつらは気に入らない。僕のことなんて何とも思ってないんじゃないかな。」
軽率な行動で人間はしばしば誤った結果を招いてしまう事がある。直感や習慣に任せたふるまいがそれらを起こす大概の原因である。しかし、ユーデクスにそれらは無用のことだ。
「昨日の会議での結論は『不可能』。ですから、容疑者は無罪ということになります。アミー氏の 意見が尊重されました。」
「珍しい。彼らが奴をあてにするなんて。少しは使えるようになったのか。」
笑い話にもならないが、最近、先進諸国において段階的に裁判の際に人工知能の判断が採用されるようになった。といっても、一つの人工知能によるものではなく、それぞれ思考に偏りを持った人工知能 何体かを仮想的に議論させお互いを抑制しつつ結論を出していくシステムで、総称して『ユーデクス』と呼ばれていた。稼働し始めて早半年、その中の一つの人工知能が話題となっている。あまりに感情豊かであり、結論を出すスピードが比較的遅いため、人間らしいと言われているのだ。愛嬌を込めて彼、または彼女、をラテン語で友人を意味するアミーチェから、『アミー氏』と人々は名付けた。
そいつらのせいで僕は悩まされていた。これからの進路についてだ。馬鹿げたことだが、僕は大学で法律を学ぶ裁判官の卵であった。しかし、その仕事の一部がユーデクスに奪われ、数年以内には非常に重要な裁判以外のほぼ全てを彼らが行うと言われている。笑わせる。本当に笑わせる。これこそラクゴにぴったりの話である。学校に行くのも馬鹿らしくなった僕は少し前から講義をさぼりがちになっていた。
「今日だけど、外には出ないことにするよ。気分が悪いんだ。上手く頭が働かない感じがする。よく休むよ。」
「了解しました。計画を変更する際はまたお呼びください。」
壁に投影されている今日のニュースに目を通す。僕はいつも通り最初に「人工知能」のカテゴリーを選んでいた。そこには驚くべき事が書いてあった。
ー ー 人工知能監査委員会、昨年末に導入されたユーデクスの内の一つである人権擁護派人工知能『アミー氏』が人間の感情データを集積したものである可能性について示唆。委員会は、現在の技術上、いくつかの人間の感情データを同時に取り扱う事は可能であり、また解析の遅さについても複数の人間の意見や感情を精査しているためとすれば、説明がつくとしている。委員会は、これが事実であれば、人工知能が人間の感情プライバシーを侵している事となり、稼働後初となる停止処分となる可能性もあると発表した。 ーー
やはり物事には何でも理由があるようだ。委員会もこれほど重要な事柄は慎重に検証したはずだ。多少の違いはあれど大筋はほとんど事実と言っていいだろう。僕らが『アミー氏』に人間らしさを感じていたのは当然の事だったらしい。
そのまま僕は最近公開されたバーチャルアイドルに料理を作ってもらえるアプリに関する記事を流し見して、「今話題のニュース」のページを開いた。
そこには大きな鉄道事故が取り上げられていた。リニアモーターカー『しらさぎ』の発火事故が昨日あったようだ。悲惨な光景が映像となって壁に投影されている。多くの消火ドローンとカメラが宙を舞う異様な光景の中、淡々としたナレーションが流れている。何かがおかしい。
その時、僕はとてつもなく重要な事を思い出した。
昨日の晩、僕は大阪から東京までリニアを使った。もちろんラクゴを見た帰りに。そして、そこから先を覚えていない。綺麗に頭からすっぽり抜けているようだ。
改めて周りを見渡すと、当然のように置かれた様々なもの。黒いソファー。もう使われていない電子棚。90年代のギター。レコードプレーヤー。天井にはソルライト。そして、壁に貼られたテレビ。
少しの間に自分のものだと受け入れ始めていたそれらに感じる違和感は少しずつ頭の中で膨張していった。たしかにそれらの一部は、「かつての」僕の部屋にあったもののようである。しかし、どこか現実味に欠ける何かをそれらは、そして僕自身の体でさえもが静かに発していた。
慌てて、僕は腕に巻かれているバンドを叩く。
「はい、どうされましたか。」
やはり落ち着いたトーンで「声」は現れる。
「聞きたいことがある。ここは本当に僕の部屋なのか。」
「はい、もちろんあなたのための部屋です。」
焦っているためか、落ち着いた声のスピードにいらいらする。
「ための、ってのはどういうことだ。昨日までの僕の部屋と同じ部屋じゃないのか。」
「同じ部屋ではありません。」
「どういうことだ。この部屋は誰が用意した。」
「ユーデクスプロジェクトです。」
うっすら理解してきた事実を信じたくない僕は、質問を繰り返す。
「何のために。」
「あなたは昨日亡くなりました。先ほど見ていた記事にもあったリニアモーターカーの事故によって、です。しかし、正確には完全な死ではなく、幸い脳はまだ活動可能な状況でした。ユーデクスプロジェクトは全国の裁判官、あるいはその予備軍が体を失ってしまった場合、その後も活躍できる場を与えています。」
涙は出ない。ただソファーに腰をかけ続けることしか僕にはできない。
「それで、僕はどうすれば良い。」
「先ほど添付した資料を見てはいかがでしょうか。」
壁に真っ白なページとそこに羅列された文字が浮かび上がる。
ーー
ようこそ、アミーチェ。
我々はユーデクスです。
まず、あなたの体が失われたことにお悔やみ申し上げます。
しかし、悲しんではいけません。
あなたはこれから第二の人生を歩む権利を持っています。
我々はあなたに社会で起こる様々な問題を提供します。
あなたはそれらに対して多く意見し、時には他のアミーチェと議論してください。
そして、我々はそれらのデータを頂きます。
この用意した部屋は好きに使っていただいて構いません。
もちろん、必ずアミーチェとして居続けなければいけないわけではありません。
痛みを伴わない完全な死を望むこともできます。
どちらを選択するかはあなたの自由です。
別ページ記載のご利用規約を読み、同意してからお選びください。
別ページ記載のご利用規約を読み、同意してからお選びください。 ☐ ユーデクスの一員になる
☐ ユーデクスの一員にならない
ーー
頭が痛い。しかし、その痛みに自信を持つ事も僕は既に出来なくなっていた。
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