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『ボディスーツ』



 その鈍く輝いたボディスーツを初めて手に取ったのは2年前の夏だった。


 スーツの持ち主であった叔父さんは、もう何年も前から規制されていたアルコールを工業用アルコールなのか何なのか、とにかくどっかで無理矢理手に入れて、多分一人でかなり飲んでいた。それもあってか住んでいた部屋ですってんころりんと死んだ。


 叔父さんの部屋では、アルコールの瓶が、もう誰も読み方すら分からない書類が、終わった食事のお皿が、誰かを待っていた。窓や壁には叔父さんが好きだったであろう映画のポスターが何枚も映されたままになっていて、僕と弟は多分叔父さんが見られたくなかったであろう状態の部屋に最後の遺品整理のためにいた。


ーーーーー


「ここがストリートカジノの取引場所だと言われても俺は信じるよ」

 僕は弟に笑いながら言った。それくらい部屋は特殊な匂いを放っていた。そもそもこんなタバコが高級品の時代にどれだけ吸えばこの匂いが染み付くのか。あまりに無防備な生活感が匂い以外でもこびりついていた。

「にしては、この部屋に入るためのセキュリティが凄すぎたね。あんな本物の人がやってる受付?コンシェルジュ?がついてるなんて相当いい所でしょ。」


 弟が驚くのもわかる。確かに部屋にいると殊更にそのギャップは感じざるを得ない。そもそも今の時代に画面越しじゃない対応の受付なんて趣味が悪い。それを抜きにしても、エントランスの植物や空間演出は行き届いていて、確かにそれなりに良い物件であることは明白だった。


「サトシちゃんが働いてたとこ、少し前からロケット用の液体燃料の開発が上手くいって結構儲かってたし、この家もほとんど会社が払ってくれてたらしいよ。」


 実際、叔父さん、僕らは小さいからサトシちゃんと呼んでいた、は一人で暮らしていることもあって生活日用品を買うだけ以上のお金は十分稼いでいたようだった。その何よりの証拠が収納棚に何着も並べられたボディスーツだった。


「これすげーな。」


「うん。」


 その棚を見た時、思わず僕と弟は身を引いて並んで立ち尽くした。


 ボディースーツは、今の時代ではほとんど作られていなくなっていた。見た目が前時代的でもあるし、高機能すぎた。何より惑星探査への興味はとっくに人類から失われていた。当時はこぞって作っていたIT企業も今は少なくなり、生活に紐づいた技術に転用されている。まさにこの星全体が元気だった時代の遺品と言ってもいい。とはいえ、その希少性と宇宙への憧れを強く抱き続ける一部の好事家から、ボディースーツは今もものによっては割と高値で取引されていた。


「これ、売れるかもしれないし全部貰っとこう。でもサイズ少しちっさいね。俺は厳しいけど、お前ならいけるんじゃない?」


 僕は確かにお金に困っていたから、これは絶対に持って帰りたかった。というより、一回着てみたいとも思っていた。小さい頃、叔父さんに色んな旅の話を聞いた。そこで見つけた不思議な植物や、聞いたことのない音、おじさんは絵も上手でそこの風景をいくつか描いてくれた。その思い出がここにも残っている気がした。でも、残念ながら僕には一回り小さくて着るには難しそうだった。


ーーいつか家に来てくれたら色々見せたるわ。


 叔父さんは僕に会うたびそう言ってくれた。でも、最後まで一回も行かず終いだった。


「いやー、俺も厳しいな。全部売ろうよ。」


 弟は僕より痩せてはいたが、少し背が高かった。ボディースーツはほとんどカスタム品で体が入らなかったらその機能の殆どが使えない。とりあえず、僕らはそのボディースーツと映画関連の骨董品を全部箱に入れて持って帰ることにした。あとは全部、掃除会社が綺麗にしてくれる。


ーーーーーー

 数日後、綺麗になった部屋で叔父さんのお別れ会が行われた。叔父さんが遠くのロケットから空に打ち上げられるのを僕らは黙って見ていた。一区切りつくと、僕達含めた親戚の人、叔父さんの同僚、友人たちが集まり、昔話を始めていた。映画好きで冒険心溢れる叔父さんの過去が、色んな人から語られていた。


「実はこの家にすごい昔来たことがあってね。あの映ってるポスター見ると、サトシくんとここで話した色んな話を思い出すよ。僕も何回かボディースーツ着て一緒に行ったんだけどね。すぐに飽きちゃって。お金もかかるしね。甥っ子さんだよね。彼から話に聞いてたよ。」


 そう言って僕に話かけてくれた叔父さんの友人が昔話をしてくれた。


「サトシくんとは小さい頃からの仲でね。当時はボディースーツが流行って間もない頃だった。彼は小学生にしちゃ少しませてて、大人が行くようなお店に入ってボディースーツの機能の色んな話をしていたよ。彼は頭が良かったからね。」


 その友人は叔父さんとは小さい頃から付き合いのある唯一の参加者のようだった。僕が知らない話を彼は続けた。


「本当はスーツデザイナーになりたかったらしいんだけどね。当時の世の中はあんまりボディースーツにのめり込むと危ないってみんな言ってたから、そういう方向から少し彼も離れちゃってね。今頃すごい人になってたかもしれないのに。みんなでいつに間にかそういう話もしなくなっちゃってね。」


 そう言ってその人は涙を流していた。


「サトシちゃん、僕が小さい頃にもボディースーツで行った色んな旅の話を聞かせてくれたんですよ。ほら、M106星にある銀色の建造物?とか、そこで生えている植物や鉱物も小さい頃絵に描いてくれました。あの絵、今になっては捨てなかったら良かったなって。」


 僕も叔父さんとの思い出を彼に話した。


「そうか、そうか。M106の話、君にも話してたか。結局ずっと好きだったんだよね。今度よかったら僕がやってる店に来てよ。叔父さんが好きだったアルコール、少し残ってるよ。今はそういう店も少なくなっちゃったね。」


 そうして、叔父さんの新しい過去をそれぞれの人が語りながら、その部屋はまた空っぽになった。


ーーーーー


 2年が経ち、結局一着も売れないでいた叔父さんのボディースーツを僕はまた手にとっていた。今ならもしかしたら着れるかもしれない。その時と変わらない冷たい素材のそれは、いまだに宇宙への冒険の手触りを放っていた。叔父さんの言葉が脳裏に蘇る。


「いつか家に来てくれたら色々見せたるわ。」

 

 これを着てみよう。その決意は、ボディースーツをただの服以上の未知の世界への入り口に変えていた。


 体を通すと驚くほどピッタリと自分の体に合っていた。着終わると突然、声が聞こえた。


「こんにちは新ユーザーさん、過去メモリーを消去しますか?私はアシスタントガイドです。」


 叔父さんの声が聞こえた。


「サトシちゃん?」


 思わず僕は尋ねる。


「はい、メモリ消去前の新ユーザーには前ユーザーの声で話しかけるようプリセットされていました。メモリは消去しますか?」


 叔父さんの声で話すそれは少しおかしくて笑えた。


「いや、消さないでいい。最後にサトシちゃん、いや前のユーザーが見ていた映像って見れる?」


 何ができるかわからないけど、僕は咄嗟に聞いていた。


「はい、こちらです。」


 そこには、叔父さんが銀色の建造物に向かう映像と叔父さんの声があった。


ーーすごい、こんな構造物は見た事ない。ユークリッド幾何学の外にある数学体系で発展した文明が作り出したとしか思えない!!すごい、こんなユニークな形が存在し得るなんて!人類はなんでこれにもっと興味を示さないんだ。中に入ったらどんなーーー


 叔父さんは中に入っていった。叔父さんはただ、ひたすら感嘆の声を上げていた。


 そこには確かにサトシちゃんがいた。そして、僕もそこにいた。




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